良くも悪くも、
亀田三兄弟ほど世間の注目を集めたボクサーはいません。
ボクシングは知らずとも、
亀田の名は多くの人が知るところでしょう。
三兄弟全員のキャラが立っており、
エンターテイナーとしては非常に魅力的。
今回は亀田三兄弟の長男。
亀田興毅に迫っていきたいと思います。
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亀田興毅のwiki的プロフィール
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
名前:亀田興毅(かめだ こうき)
本名:亀田興毅
異名:浪速の闘拳
生年月日:1986年11月17日
年齢:32歳
血液型:B型
出身:大阪府大阪市西成区天下茶屋
身長:165.9cm
体重:60kg前後
階級:ライトフライ、フライ、バンタム
スタイル:サウスポー
所属:グリーンツダジム→協栄ジム→亀田ジム→アル・ヘイモン傘下
職業:株式会社亀田プロモーション代表取締役社長
インスタグラム:@kokikameda
ツイッター:@koki_kameda1117
ブログ:「今」
亀田興毅の経歴
亀田三兄弟の先頭を切ってプロデビューし、
ファン・ランダエダ戦で念願の王座獲得。
- 内藤大助
- ポンサクレック・ウォンジョンカム
- アレクサンデル・ムニョス
- ウーゴ・ルイス
- 河野公平
これらボクサーを相手に試合をし、
最終的な戦績は、33勝18KO2敗。
そんな亀田興毅。
まずは幼少期から追っていきましょう。
プロデビュー前
亀田興毅はもちろんのこと、
亀田三兄弟を語るときに外せないのは、
亀田三兄弟の父・亀田史郎氏。
賛否両論はありますが、
三兄弟全員をボクシング世界王者にしたのは、
紛れもない事実。
WBCから日本人初の名誉トレーナーベルトも送られています。
この史郎氏から、亀田興毅はボクシングの手ほどきを受けます。
闘争本能を養うために、
最初に始めた格闘技は空手でした。
空手でも、全国1位に輝いています。
ボクシングを始めたのは11歳の時。
空手とボクシングを中学卒業まで並行して練習していました。
亀田興毅は17歳になるとすぐにプロライセンスを取得しますが、
アマチュア時代にもきちんとした実績を残しています。
- 2002年全日本実業団選手権フライ級優勝
- 2002年全日本社会人選手権フライ級ベスト4
- 2002年全日本アマチュアボクシング選手権大会近畿優勝
- 2003年全日本実業団選手権フライ級優勝
- 2003年全日本社会人選手権フライ級優勝
「3兄弟そろって世界王者になろうとしている家族が大阪にいる」
テレビはその物珍しさから、
デビュー前から亀田三兄弟に注目していました。
初めに注目されたのは、
やはり最年長の亀田興毅です。
デビュー前、
亀田興毅は元2階級制覇王者である井岡弘樹とスペシャルエキシビジョンを行っています。
当時亀田興毅は14歳。
対する井岡弘樹は引退こそした身であれど、元王者です。
その井岡に、
亀田興毅は何発か良い左を当てていました。
中学生と元2階級制覇王者です。
厳しい父・亀田史郎氏も、
この日は「褒めてやらなあかん」と笑顔でしたね。
プロデビューから世界2階級制覇
引用:https://www.instagram.com/p/BWynwh0FG3R/
そしてプロデビュー。
その注目度から、
ファイトマネーは破格の1,000万円!
デビューから8戦は全てタイ人。
負けが込んでる選手や、
もう何年も試合をしていない選手が多かったようですが、
デビュー数戦でそういう選手を相手に自信をつけるのはよくあること。
確信的に亀田興毅が強いと思ったのは、
第7戦のOPBF東洋太平洋に挑戦した試合と、
次の8戦目です。
ワンミーチョーク・シンワンチャーに決めた左のカウンターは実に綺麗。
この左に小さなダッキングからのカウンターは、
他の試合でもよく決めていますが、
ワンミーチョーク戦が一番綺麗に決まったと思います。
続くノエル・アランブレッドも中々倒れない選手ですが、
その選手からダウンを奪い棄権させます。
亀田興毅戦以外KOやTKO負けがない選手だったので、
決して脆い選手ではありません。
ノエル・アランブレッドから2戦を挟み、
世界初挑戦を行います。
「日本王座を先に取るべきだ」
「お金があれば世界挑戦が出来るのか」
という批判もありました。
その批判は、試合後さらに強くなります。
世界初挑戦の相手は、ファン・ランダエダ。
階級は元々戦っていたフライ級から一つ下げてのライトフライ級。
この階級を下げたことが、
亀田興毅にはマイナスに働く面が多かったようです。
まず、亀田興毅はライトフライ級の契約体重を勘違い。
その勘違いしていた体重に合わせようと調整していました。
試合数日前、ライトフライの正規契約体重に気づいたため、
元々つらかった減量が更にきつくなったはずです。
その影響もあってか、
亀田興毅は1ラウンド早々にキャリア初のダウンを喫します。
その後、目立った見せ場も作れず12ラウンド終了。
亀田興毅の敗北が試合終了後の大方の予想でしたが、
結果は2-1のスプリットディシジョン。
念願の世界王者達成です。
しかし、世間の対応は亀田興毅に対して冷たかった。
疑惑の判定であったと、
放送したTBSには何件ものクレームが入り、
チャンピオンになったことよりも亀田の実力は本物か否か、
今までの行き過ぎたパフォーマンスの如何に関して議論が行われました。
亀田史郎とやくみつるのワイドショーでの言い争いも注目を集めましたね。
その世間の声にあらがうように、
亀田興毅とファン・ランダエダはダイレクトリマッチで戦います。
今度は明確なポイント勝ち!
綺麗なアウトボクシングでポイントアウトし、
3-0の判定で勝利をしました。
減量苦からライトフライでの戦いはこれで終わります。
ファン・ランダエダ相手に防衛を成功させたのち、
階級をフライ級に変更。
デビュー当時から戦っていた階級です。
途中WBAインターコンチネンタル・フライ級王座も獲得しますが、
8戦を挟んで当時内藤大助が持っていたWBA世界フライ級の王座に挑戦します。
2階級制覇を達成します。
バンタム転向世界3階級制覇から引退まで
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
そしてフライ級王座陥落後の4か月後には復帰戦を行いKO勝利。
その次戦で、
WBA世界バンタム級王座をかけて、
アレクサンドル・ムニョスと対戦。
亀田興毅は、この試合に勝ち、
3階級制覇を成し遂げます。
これは日本人初の偉業でした。
バンタム級の王座を亀田興毅は8度に渡って防衛します。
その中には、
後にスーパーバンタムも制覇した2階級制覇王者であるウーゴ・ルイスも含まれています。
長谷川穂積選手とのロープ際での打ち合いや、
ガーボンタ・デービスとの試合も記憶に新しいですね。
しかし、8度目の防衛戦である韓国の孫正五との戦いは精細を欠きました。
あの試合に関しては、
疑惑の判定というよりも、
確実に何らかの力が判定に影響を与えたと私も思います。
この孫戦でのパフォーマンスから、
亀田大毅、和毅は亀田興毅に引退を勧めたそうです。
それでも亀田興毅は階級をスーパーフライに移し、現役を続行。
しかし、スーパーフライでの王座奪還、
つまり日本人初の4階級制覇は為せませんでした。
そして何より、
日本での試合が出来なくなってしまいます。
JBCによる亀田プロモーションへの訴訟問題、
弟亀田大毅の負けてもIBF王座保持問題などがあり、
亀田ジムはJBCよりライセンスを剥奪されてしまうのです。
角海老宝石やUNITED BOXING GYMへの移籍も不可となり、
事実上の日本追放。
そして、活躍の場を海外に求め、
三兄弟はアメリカボクシング市場の大物マネージャー兼プロモーターであるアル・ヘイモンと契約。
孫戦から約1年ぶりにリング復帰。
オマール・サラド相手にKO勝ちで終わらせました。
そして、興毅2人目の日本人対決。
ワタナベジムの河野公平が持つWBAスーパーフライ級王座に挑戦します。
序盤、
亀田がボディでダウンを取ったと思われましたが、
レフェリーはそれをローブローとジャッジ。
スローで見ても非常に微妙でしたね。
しかし、
そのローブロー後に河野公平の右ストレートがもろに亀田興毅の顔面に入り、
しりもちをつくようにダウン。
その後、
亀田興毅は再度ローブローの反則を取られ、
結果は大差判定負け。
そしてその試合直後、引退を表明します。
最終的な戦績は、
33勝2敗18KO。
リング内外で多くの話題を提供した亀田興毅のボクシング人生が終わりました。
亀田興毅の戦績と獲得タイトル
戦績
35試合 33勝 2敗 18KO勝利
獲得タイトル
- OPBF東洋太平洋フライ級王座
- WBA世界ライトフライ級王座
- WBAインターコンチネンタルフライ級王座
- WBC世界フライ級王座
- WBA世界バンタム級王座
(2019年6月27日現在)
亀田興毅の入場曲は?
亀田興毅の入場曲は、
「ロッキー4」のテーマ曲としても有名な、
「バーニングハート」です。
アメリカのロックバンドであるサバイバーの楽曲で、
全米チャート最高2位までいった曲です。
亀田和毅も使っていますね。
引用:youtube.com
亀田家と内藤大助
内藤大助・亀田興毅と言えば、
2007年から2009年にかけて、
最もボクシング界で売れた名前。
日本人と対戦をしない亀田興毅を揶揄し、
内藤大助側は再三にわたり亀田興毅との対戦を要望してきました。
そして2007年、
内藤大助自身がポンサクレック・ウォンジョンカム相手に念願のチャンピオンになると、
出てきたのは次男の亀田大毅選手です。
内藤大助 対 亀田大毅
戦前の亀田からの口撃と、
リング上のサミング、
抱え上げなどの反則行為。
そして、
亀田陣営による反則の指示の有無。
試合の結果以上に、
この試合後亀田家への風当たりは更に強くなります。
国民全員が敵のような感覚でしょう。
亀田大毅は坊主頭になり、
半ば引きこもり状態に。
長男・亀田興毅は、
その弁明にと記者会見を行いました。
内藤大助はこれを機に国民的ヒーローに、
亀田側は完全なヒールとなります。
そして、そのまた2年後、
弟の敵とばかりに長男・亀田興毅が内藤大助に挑みます。
亀田興毅 対 内藤大助
内藤大助は既にWBAフライ級の王座を5度防衛していました。
やはり注目度は高い。
視聴率は、
ボクシング放映歴代2位の43.1%にまで昇ります。
試合は序盤から亀田興毅が左のストレートを多用し、
打ち気に逸る内藤大助に対してカウンターがよく決まっていました。
内藤大助の鼻を腫らし、
終始優勢に攻め、3-0の判定で勝利。
弟の無念を晴らすとともに、
自身は2階級制覇に成功します。
内藤大助戦後、
WBAフライ級の暫定王者であったポンサクレック・ウォンジョンカムとの対戦が義務付けられており、
2010年3月に両者は対戦。
ここで勝てば内藤大助との差を明確に見せられる亀田興毅でしたが、
ポンサクレックの老獪なテクニックに手を焼いてしまい、
2-0の判定負け。
キャリア初の敗北を喫するとともに、
フライ級での王座在籍期間は、
約4か月と短いものでした。
全盛期の亀田興毅は本当に強い?
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
「亀田は弱い」
「弱い選手とばかり戦っている」
亀田興毅だけではなく、
亀田三兄弟には常にこの批判が付きまとってきました。
しかし、
弱い選手は三階級制覇など絶対に出来ません。
なぜこういう批判が出てきてしまうのかというと、
本人の試合前の大口と、
リング上での試合運びに差があるからですね。
確かに、
デビューから数試合はKO勝ちも多く、
見ていて面白かったです。
東洋太平洋を争ったワンミーチョーク、
ノエル・アランブレッド共に中々倒れる選手ではありません。
しかし、
亀田興毅が変わってしまったのは、
ファン・ランダエダとの2戦以降。
所々以前のような打ち合いは見せてくれるものの、
ポイントアウトを重視する
アウトボクサー的な選手になりました。
これはなぜか?
考えられる理由は2つ。
まず1つ目は、
ランダエダ戦のキャリア初のダウンで、
相手のパンチに対する警戒心が以前よりも増したこと。
今までイケイケの選手が、
一度のダウンや一度の負けで、
その後ずるずるとパフォーマンスが低下してしまう事はよくあります。
日本だと渡部あきのり選手や土屋修平選手がそうでした。
2つ目は、
ランダエダ2戦目で、
アウトボクシングにより明確な勝利を収めたこと。
これゆえアウトボクシングスタイルが自身に合っていたと思ったのでしょう。
アウトボクシングがダメという事は全くありません。
しかし、亀田三兄弟はビッグマウスあってこそなので、
それとは対照的なボクシングスタイルに批判が集まったのですね。
特に良いのは、左のノーモーション。
今でこそノーモーションとよく言われますが、
言われ始めたのは亀田からではないでしょうか。
対内藤戦で見せた左は内藤大助選手の顔面にもろに入り、
その試合の決定打になりました。
期間別に強さの程度を言うのであれば、
ランダエダ戦までが打撃力、
そこから内藤戦までがアウトボクシング。
内藤戦から引退までは、
ゆっくりと下降線を辿っていったと思います。
特に、韓国で行われた孫戦はひどかった。
タイトルマッチでしたが、
そのレベルではありません。
弟2人が引退勧告をするのもわかります。
引退後は、主にボクシング振興のために色々活動しているようです。
引退してからわかることですが、
亀田興毅を失ったあとの日本ボクシング界はヒール役を失い、
盛り上がりに欠けると思います。
「頑張ります。絶対勝ちます」だけで、
嫌われる事で注目を集めようとする選手がいない。
井上尚弥のWBSS対ファン・カルロス・パヤノ戦の平均視聴率は6%です。
対して、亀田興毅の試合は平均10%を超え。
AbemaTVのボクシング企画「亀田興毅に勝ったら1000万円」では、
あまりの視聴者数の多さにサーバーがパンク。
いまだその注目度は抜群でした。
ボクシングの実力的には、
晩年ですが河野公平にやられてしまっていることを鑑みても、
王者クラスではありますが中の上くらいでしょう。
しかし、お客さんあってのプロボクサーとして、
エンターテイナーとしては最高の逸材でした。
亀田興毅 実はいい人
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
亀田と言えばビッグマウスですね。
メディアで大口をたたくボクサーは
辰吉丈一郎以降なかなか出てこなかったので、
メディアも面白がりその動向に注目しました。
それと同時に、幼少期は引っ込み思案で、
どこへ行くにも父親と一緒でなければだめな子供だったそうです。
パフォーマンスは父親の指示でした。
プロボクサーは注目されてナンボの世界。
デビュー戦では雑誌を真っ二つに破り捨てたり、
フライパンを折り曲げたりしています。
このパフォーマンスには裏があります。
雑誌破りに関しては、入念に練習していました。
フライパン曲げでは、
柔らかい素材のフライパンをわざわざ買ってきて何個か試したそうです。
パフォーマンスの裏には、
本人の入念な準備があったんですね。
パフォーマンスもビッグマウスも、
プロボクサーとして注目を集めるがためです。
本人も、自身がプロボクサーという『一つの商品』であることを認識していたようで、
「ボクサーはコンビニの商品と一緒。それを買って美味いか不味いか言うのはお客さんの自由」
引退後の番組で話していました。
プロボクサー亀田興毅と、
素の亀田興毅は違います。
現役時代は、
「素の亀田興毅は実はいい人だった」と知られては商売あがったりでしょうから、
本人はきつかったと思います。
今の話しぶりを見ていると、
相手を威嚇するような態度は全く見えませんね。
現在32歳の亀田興毅ですが、
普通の32歳と比べても何倍も濃い人生を送っています。
非常に穏やかな顔になっており、
現役時代の顔と比べて「実はいい人だった」という人も多くなっています。
亀田興毅の嫁や子供について
亀田興毅は2012年結婚します。
お相手は、中学校の時から付き合っていた女性で、
上述のデビュー前の井岡弘樹戦へのドキュメンタリーで出てきます。
結果的にはできちゃった結婚のようですが、
約12年間もお付き合いをしたいたようなので、
結婚も既定路線でしたね。
奥さんとの間には3人の子供がいて、
3人とも男の子です。
ちょうど、亀田三兄弟。
名前は上から、
・まんちゃん
・ぎんちゃん
・てんちゃん
フルネームは明かしていません。
引用:https://ameblo.jp/koukikameda/
子煩悩のようで、
ブログにも頻繁にお子さんが出てきます。
弟の亀田大毅、
和毅もよく面倒を見ています。
お子さんにはボクシングではなく、
亀田興毅が進まなかった道に進んでほしいと思っているようです。
自分が育った亀田とはかけ離れていますが、
幸せそうな家庭を築いています。
亀田興毅の引退と復帰、現在は?
上述の通り、
亀田興毅はシカゴでの河野公平選手との試合後、
一度目の引退を表明します。
しかし、
ボクシング選手の引退ほど信憑性のないものはない。
亀田興毅はまたリングに戻ってきます。
引退後は2017年にトレーナーライセンスを取得するなど、
後進の育成に尽力していくと思われた亀田興毅ですが、
AbemaTVのボクシング企画が彼の心の中のボクシング熱を燃え上がらせます。
まず、「亀田興毅に勝ったら1000万円」
ボクシングの素人相手に、
亀田興毅がガチスパー形式で相手をします。
結果、誰も亀田興毅には勝てませんでしたが、
その中の挑戦者の一人Youtuberのジョー(ジョー・ブログ)が、
プロボクサーになりたいと亀田興毅に師事を仰ぎます。
2度目のプロテストで合格後、ジョーはプロデビュー。
ダウンを奪い、見事判定勝利を飾るのです。
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
そして、そのジョーのプロデビュー戦が行われた2018年12月31日。
亀田興毅はAbemaTV内で1試合のみの現役復帰を表明します。
亀田興毅は、
この試合のためにJBCへライセンスを申請。
見事許可が下り、
日本で亀田興毅の試合が見れることになりました。
しかし、問題はその相手。
後日記者会見で、
因縁の相手ポンサクレック・ウォンジョンカムと発表されました。
しかし問題は、
ポンサクレックにJBCからライセンスが下りないこと。
故にこの試合はJBC非公式で行われました。
これで現役復帰とするかは人によるでしょうが、
正式なものではありません。
ポンサクレックにフライ級の初防衛戦で負けている興毅、
非公式ながら2戦目では2回12秒TKO勝ちで終わらせました。
これで完全引退、
と思いきや亀田興毅はまだ終わりませんでした。
ボクサー引退の10カウントゴングの最中、
亀田興毅はそれをやめ、
もう一試合したいと表明します。
その対象となった相手は、
ローマン・ゴンザレス。
パウンド・フォー・パウンド1位にもなった選手です。
実現すれば、
確かにかなりのビッグマッチです。
しかし、金銭的問題、
ロマゴン側のメリットの無さなど
元々実現可能性の低かったこの試合は結局行われないまま。
2018年11月、
亀田興毅は引退を表明しました。
那須川天心戦で完全引退表明
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
2019年6月に行われたAbemaTVの企画、
『那須川天心にボクシングで勝ったら1000万円』に登場。
公式戦ではないので、
ヘッドギアをつけての試合。
3ラウンドで急遽ヘッドギアを外す展開になりましたが、
お互いにKO決着はつきませんでした。
それでもかなり面白い試合を見せてくれました。
そしてこの試合後には、
「最後」という言葉を何度も使っていました。
うっすら涙を浮かべるシーンもありましたし、
本当にこれが最後のリングになるのでしょう。
引退後の現在
引用:https://twitter.com/koki_kameda1117
現在、亀田興毅が精力的に活動しているのは、
Tokyo Fight Club(TFC)という自身がプロモートするボクシングイベントです。
4回戦の選手にもスポットライトが当たるよう、
AbemaTVでそういった選手の試合も流すよう考えられています。
亀田興毅が再三言っているのが、
日本のプロボクサーのファイトマネーの低さ。
TFCのようなイベントから
日本ボクシング界を盛り上げたいと言っています。
そして気になるのは、
メイウェザーによるMoney Team Tokyoとの関係性。
2018年メイウェザーが来日した時、
亀田興毅、大毅と同席して
記者会見を開いたのは世間の注目を集めました。
亀田家とメイウェザーが組めば、
相当な話題になりますが、
それ以降、進展は聞かれません。
TFCのイベントもそこまで頻繁に行われているようではないので、
トレーナー業に集中的に従事しているのだと思います。
特に今は弟の亀田和毅がバンダムの暫定王者になり、
レイ・バルガスとの統一戦へ準備をするべき時期。
亀田興毅もそれに全面的に協力していると思われます。
【ボクシング】亀田興毅 まとめ
かつて、フロイドメイウェザーはこう言っています。
「俺のことを好きでも嫌いでも構わない。それでチケットを買ってくれるのだから」
彼がPPVを稼ぎ、
最も稼ぐアスリートに上り詰めたのは、
ファンが多かったのも勿論ですが、
何よりアンチが多かったことにあります。
嫌いな選手が負けるのは、
好きな選手が勝つことよりも興奮します。
ゆえに、その負ける姿見たさに、
みんなメイウェザーの試合をPPVで買いました。
日本でそれをやったのが、亀田興毅です。
日本歴代王者の中で、
強さのランク付けをするなら決してトップの選手ではありませんが、
商業的に成功したのは亀田興毅がダントツでトップです。
ヒール役がいなくなり、
悪い意味で落ち着いた日本ボクシング界。
亀田興毅がいた時と比べて、
ボクシング界への注目は低下したでしょう。
少なくとも、上がってはいません。
あのような選手は、
どんなスポーツにも一人は必要です。
是非、日本にもまた出てきてほしいですね。