今回は、
2018年大晦日のRIZIN.14で引退することが決まった
宮田和幸選手を紹介します!
4秒KOによって今でも語られる
山本KID徳郁さんとの試合や、
引退理由、引退後や現在の活動、
奥さんとの結婚生活、
RIZINでの山本アーセン選手との引退試合に関してなど、
wiki的プロフィールから私生活までご紹介します!
ページコンテンツ
宮田和幸のwiki的プロフィール
引用:https://twitter.com/miyataness3234
名前:宮田和幸(みやた かずゆき)
本名:宮田和幸
異名:ヘラクレス
生年月日:1976年1月29日
年齢:42歳
血液型:O型
出身:茨城県
身長:172cm
体重:65kg
階級:ライト級、フェザー級
スタイル:オーソドックス
所属:BRAVE GYM
インスタグラム:@miyata.hercules
ツイッター:@miyataness3234
ブログ:宮田和幸オフィシャルブログ
宮田和幸の経歴
元々は10歳からレスリングをやっていて、
シドニーオリンピックの日本代表経験もあります。
小さい頃から運動神経が抜群に良く、
もし格闘家としての道を歩まなければ、
プロのサッカー選手か
バスケット選手になっていたかもしれないようですw
塩試合が多いとも言われていますが、
「テイクダウンなら総合格闘技で世界一」と
自称するだけあって、
ものすごいフィジカルを持っています。
総合格闘家としてデビューしたのは2004年。
そして2005年には、
怪我をした山本キッドさんの代役として、
K-1 WORLD MAXに出場。
試合前日のオファーということもあり、
武田幸三さんに敗れました。
ここからHERO'SやDynamite!!、DREAMなど、
日本の大きな格闘技イベントで
数々の強敵と試合を繰り広げました!
レスリング日本代表ということもあって、
デビューからすぐにスター街道を駆け抜けました。
しかし2006年のHERO'S、
山本KID徳郁戦で事件が起きます!
開始4秒の膝で顎を砕かれての瞬殺劇。
これがきっかけで、
『山本KIDに4秒KOされた選手』として有名になってしまいます。
2016年にはRIZIN初参戦!
K-1 WORLD MAXで大活躍した
アンディ・サワー選手との試合で見事に勝利。
会場を大いに盛り上げました!
宮田和幸の戦績と獲得タイトル
戦績
総合格闘技
24試合 15勝 9敗 0分 9KO・一本勝利
キックボクシング
2試合 1勝 1敗 0分 0KO勝利
ミックスルール
1試合 0勝 1敗 0分 0KO勝利
獲得タイトル
- なし
(2018年11月25日現在)
宮田和幸の入場曲は?
入場曲は、
『2PAC - EYE OF THE TIGER』なんですが、
そもそもこの曲はリミックス。
サンプリングの元ネタは、
『Holler If Ya'Hear Me』など2PACの別の曲です。
音はロッキー3で有名な
『Survivor - Eye Of The Tiger』です。
引用:youtube.com
宮田和幸は創価学会?
宮田和幸選手は創価学会員だという噂が有名です。
同じく創価学会と噂されていたDef Techの『My Way』を
入場曲に使っていた時期もありましたし、
本当かもしれません。
しかし、
今時はそんなに珍しい話でもなく、
創価学会の芸能人なんてたくさんいますし、
この辺は深く触れないようにしておきますw
だからなんだという話ですかね・・・
宮田和幸の引退理由は!?
引用:https://www.instagram.com/miyata.hercules/
引退を決めた一番大きなポイントはやはり年齢でしょう。
プロレスは例外として除いて、
プロ格闘家として42歳まで現役を続けただけでもすごいです。
自分が42歳の時に若いファイターと
本気で殴り合うなんて考えただけでも恐ろしいですw
宮田和幸選手本人は、
会見で引退の理由として、
「BRAVEの若手をサポートしたいから」と話していました。
宮田和幸選手が代表を務めるジムBRAVEには、
若くて優秀な選手がたくさんいますからね。
「体力の衰えが原因ではない」と話しながらも、
古傷の影響なのか、
トレーニングを100%でこなせなくなっていたようです。
アスリートは自分の体の変化に人一倍敏感なので、
少しの変化でも違和感を感じるのでしょう。
現在は選手として試合に出る必要がないくらい
ジムの代表として成功していますし、
年齢的にもちょうど良いタイミングかもしれません。
宮田和幸と山本キッドの因縁とは?
中学の頃からレスリングでの戦友だった
宮田和幸さんと山本KIDさん。
そんな2人が総合格闘技の舞台でぶつかりました。
2006年5月3日、
『HERO'S 宮田和幸 vs 山本KID徳郁』
山本KID徳郁さんにとって、
伝説の一戦となった試合でした。
宮田和幸選手にとっては最悪の試合だったかもしれません。
開始4秒でKO!!
左の飛び膝一発で顎を砕かれました。
直後に山本KIDさんが放った
「やばい、カッコよすぎる俺」というコメントが、
今でも語り継がれています。
カッコよすぎますね・・・
引用:youtube.com
この時の怪我は凄まじく、
長期入院を余儀なくされました。
顎を固定する手術を受けたため、
数ヶ月間も流動食のみの食事・・・
肉体が資本の格闘家にとって、
食事はものすごく大事ですし、
入院中は筋肉も減る一方です。
かなりキツイですね;;
それでもたったの5ヶ月後には復帰し、
試合もこなしています。
しかも過去に一度負けているイアン・シャファー選手にTKO勝ち。
恐ろしい生命力ですねw
山本アーセンとの引退試合の結果は?
宮田和幸選手の引退試合は、
亡くなった山本KID徳郁さんへの追悼の意を込めた
『山本KID徳郁メモリアルマッチ』として行われます。
その相手は、
山本KIDさんの甥であり、山本美憂選手の息子、
KIDイズムを直伝で引き継いだ
山本アーセン選手に決まりました。
42歳と22歳。
年の差はまるで親子ですねw
65kg契約の5分3ラウンドで、
肘打ちありのRIZIN MMAルールです。
どんな結果に終わろうとも、
涙なしには見れない試合になりそうです。
両選手の飛び膝で始まった試合。
あの時に山本キッドさんから貰った膝のリベンジと、
叔父山本キッドの飛び膝を宿す山本アーセン選手。
熱すぎて声出ましたw
結果は、
20歳の年の差を感じさせない試合内容で、
宮田和幸さんの一本勝利!
自らの引退試合に花を添えました。
メモリアルマッチとはいえ、
ガチンコ勝負に勝ったので引退が惜しまれますね・・・
宮田和幸は結婚している!嫁や子供は?
引用:https://www.instagram.com/miyata.hercules/
1999年くらい、
23歳の時に一般の女性と結婚しています。
子供は一番上に『ふうが』くんという男の子、
下に女の子が2人の三人兄弟。
長男はおそらく19歳くらい?で、
レスリングもやっているようなので、
すでに父親譲りの筋肉を纏っているかもしれませんw
立派なパパとして、
子供の扱いがかなり上手で、
ジムでのキッズクラスには力を入れているようです!
早い段階で結婚し、
子供を3人も抱えたことが、
選手として指導者としての今の宮田和幸選手を作ったのかもしれません。
宮田和幸の現在は引退して経営者に
引用:https://www.instagram.com/miyata.hercules/
現役選手でありながら、
『BRAVE GYM』という格闘技ジムの代表を勤めています。
2009年に北千住にジムを作ったのが最初で、
そこからどんどん増やして現在では
北千住、三郷、草加に計3店舗も展開しています。
ビジネスとして大成功していますね!
中でも三郷のジムは国内一というくらい大きいメガジムで、
金網もリングもある2階建ての施設です。
最近は現役時代から自分のジムを作って、
収益の幅を広げている選手も増えましたね。
やはり一部の選手以外、
試合の収入だけでは苦しいのでしょうか。
宮田和幸選手くらいうまく経営できれば
選手時代よりも稼げているかもしれませんねw
宮田和幸 まとめ
選手としては引退しても、
BRAVE GYM代表指導者として
これから長く格闘技界を支える選手です。
42歳とは思えぬ肉体美でも有名です。
筋肉や肉体改造などに関してかなりこだわっている方なので、
気になる方はチェックしてみてください!
山本KIDさんが亡くなって、
宮田和幸さんが引退して、
少し寂しくなりますが
若い世代へバトンタッチですね。