今回は日本を代表して世界と戦ってきたサムライ、
武蔵(ムサシ)選手についてです!
アジア人では勝てないと言われるヘビー級において、
長年戦ってきた実績を持つ武蔵選手。
その実力や、本名、現在や実業家として顔について紹介させていただきます!
ページコンテンツ
武蔵(格闘家)のwiki的プロフィール
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
名前:武蔵(むさし)
本名:森昭生
異名:世界と戦うサムライ、日本のエース、日本最強の男
生年月日:1972年10月17日
年齢:46歳
血液型:A型
出身:大阪府堺市南区
身長:185cm
体重:80kg〜100kg
階級:ヘビー級
所属:正道会館
インスタグラム:@musashi_k-1karate
ツイッター:なし
武蔵(格闘家)の経歴
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
武蔵は正道会館所属の空手家でしたが
1995年、K-1 REVENGE IIでパトリック・スミスとデビュー戦を行い、
2RKO勝ちによって見事なK-1デビューを飾りました。
100kg超えの外国人ファイターが犇めくK-1ヘビー級で、
武蔵の当時の体重は83kgしかありませんでした。
1996年にはK-1 GRAND PRIX '96で唯一の日本人として出場し、
ベスト4まで進出します。
その後も武蔵は強豪相手に戦い、
1999年に、K-1 BRAVES '99でカークウッド・ウォーカーに3度目の挑戦(過去2度敗退している)で、
左ミドルキックでKO勝ちし、
WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座を獲得し、
日本人ながらヘビー級のトップファイターである事を証明しました。
1999年、K-1決勝大会準々決勝では、
ミルコ・クロコップに2RKO負けを喫します。
2000年、全盛期のピーター・アーツと対戦し、
1Rから左ミドルをヒットさせるなど3ラウンドを通して優勢だったのにも関わらず、
ドローとされ、延長ラウンドでスタミナを切らし、KO負けを喫します。
その後もアンディ・フグやアーネスト・ホースト、
レイ・セフォーらと戦いますが、
及ばずに敗北しています。
2001年には、2連覇中のK-1 JAPAN GPで
決勝でニコラス・ペタスに敗れ、
優勝を逃します。
2003年は、K-1 WORLD GP 2003 決勝大会で、
準々決勝ではレイ・セフォーにリベンジを果たし、
準決勝ではピーター・アーツをも破り、
日本人初のアーツ超えを果たします。
決勝ではレミー・ボンヤスキーに敗北し、
日本人初の準優勝となります。
2004年も再び決勝まで進出しますが、
レミー・ボンヤスキーに再び敗北し、
またも準優勝となります。
その後も武蔵は日本代表としてK-1トップファイターと戦い続け、
2007年には、日本人頂上決戦として
藤本祐介と戦います。
結果はなんと、左ハイキックでKO負けを喫し、
日本人相手に初敗北します。
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
2008年は新世代代表の澤屋敷純一と対戦し、3ダウンを奪いKO勝ちをし、
まだまだ一線で戦える事を証明します。
ですが年末には、
K-1ルール初挑戦のゲガール・ムサシと対戦し、
ムサシ対決として試合前にゲガールから、
負けたほうが改名するという条件を突きつけられますが、
ゲガールのボクシングテクニックに圧倒され、
なんとK-1ルール初挑戦のゲガールから1ラウンドに3度のダウンを奪われKO負け。
試合後、「ずっとこの名前でやってきて変える気もないし、どんな名前に変えればいいかわからない。」とコメントしました。
そして2009年、武蔵は負けたら引退を公言しK-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16で、
引退を賭けジェロム・レ・バンナと対戦し、
今までのディフェンス重視のファイトスタイルとは違い、
ハードパンチャーのバンナ相手に正面からパンチでの打ち合いを挑み、
終盤にダウンを奪われ判定負けをします。
ですが、会場からは大きな歓声と拍手が起りました。
武蔵はこの試合を最後に現役を引退しました。
武蔵の戦績と獲得タイトル
戦績
85試合 49勝 30敗 5分 1無効試合 19KO勝利
獲得タイトル
- カラテワールドカップ '95 第4位
- WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座
- K-1 JAPAN GP 2001 準優勝
- K-1 JAPAN GP 1999、2000、2002、2003 優勝K-1 WORLD GP 2003 準優勝
- K-1 WORLD GP 2004 準優勝
武蔵の入場曲は?
武蔵の入場曲は、
『LOUDNESS - THE BATTLESHIP MUSASHI』
LOUDNESSは、
影山ヒロノブのレイジーというバンドから派生してできたヘビィメタルバンドで、
海外でも高い人気を誇っています。
引用:youtube.com
これは世界と戦う武蔵をイメージしてLOUDNESSが作成した楽曲で、
まさに武蔵のための入場曲です!
PVにもしっかりと武蔵が参加していますね。
高揚感があって試合前に気合が入りそうな曲です!
武蔵の本名は??
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
上記のプロフィールにもあるように、
武蔵の本名は、
『森昭生(もりあきお)』といいます。
武蔵はリングネームです。
デビューする前に予定されていたリングネームは、
まさかの『ケンシロウ』!w
このリングネームがあまりにも嫌だった武蔵が、
それだけはやめてくれと猛抗議!
その後、二刀流の宮本武蔵のような、
両利きを生かした右も左も打てるファイトスタイルから『武蔵』に変更されたそうです。
ちなみにこの武蔵という名前も、
ケンシロウよりはまだマシと渋々了承したとかw
個人的には『ケンシロウ』でもそこそこ武蔵に似合ってる気が!
武蔵と命名したのは、
K-1の大レジェンド佐竹雅昭(さたけ まさあき)です!
武蔵は弱い??K-1での実力とは
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
武蔵はそのディフェンス重視の判定狙いのスタイルや、
外国人強豪選手に派手に負けるシーンも目立つからか、
武蔵=弱い
というような意見をよく見かける事があります。
しかし実際はそんな事も無いと思います。
平均身長190cmを超える怪物のような外国人ファイターが沢山いるK-1ヘビー級では、
日本人ファイターが勝つどころか、
まともに戦うのすら厳しいという状況です。
その中で、
元々ミドル級の体格の選手でありながら、
卓越したテクニックと頭脳で2度の準優勝。
ミルコクロコップの肋骨にヒビを入れたりもしていましたし、
ピーター・アーツのような最強クラスの選手からも勝利を収めている武蔵は間違いなく強い選手です。
現在の新生K-1では、
この時代のK-1と比べられないほど
ヘビー級外国人選手の層が薄くなっています。
それにも関わらず、
日本人選手はほとんど結果を残せていません。
武蔵はK-1全盛期のあのヘビー級で結果を残しています。
こういった側面からも
武蔵の凄さが見えるのではないでしょうか。
確かに面白くない試合もありましたが、
簡単に弱いとは言えません。
批判やブーイングを巻き起こしながらも、
『逃げ腰』を貫いたからこそ、
化け物だらけのヘビー級で結果を出せたと語っていました。
自他共に認める『逃げ腰スタイル』ですが、
世界一のディフェンスとも評価されています。
武蔵は結婚している??
武蔵はまだ結婚していません。
それどころか、
「15年以上彼女がいない」なんて発言も数年前にしています!
K-1一筋で生きてきたので中々奥手なのでしょうか?
バラエティに出演しているときも、
その元格闘家とは思えないおっとりとした雰囲気で
いじられていることが多いですね。
武蔵の現在は?今は何してる??
引用:https://www.instagram.com/musashi_k1karate/
実家がかなりの名家で、
一休さんに登場している武士の蜷川新右衛門の家系。
格闘家武蔵には武士の血が流れているなんて面白いですね!
また曽祖父・祖父が東大卒と非常に頭が良い家系でもあり、
武蔵本人は近畿大学短期大学部商経科を卒業しています。
武蔵は弟で同じく元格闘家のTOMO(森和行)と共に、
株式会社パウンドフォーパウンドという会社を経営しています。
格闘家のプロモーション等を業務としています。
キックボクシングイベントでの解説、
タレント活動、会社経営、
そして最近では指導者としての活動もスタートさせています。
引退してからも格闘技に貢献する実業家です!
【K-1】武蔵 まとめ
そのKO率の低さやディフェンス重視のスタイルから、
弱いなどと批判される事もある武蔵ですが、
経歴を振り返ってみれば、
ヘビー級では彼以上の選手は後にも先にもいないのではないかと思えるほどの成績を残しています。
14年間、怪物のような外国人選手達と
日本代表として戦い続けた武蔵は偉大なファイターでしたね!
これからは実業家としての武蔵にも期待です!