今回はクロアチアの伝説、
ミルコ・クロコップ選手です!
K-1での数々の強豪との激闘を繰り広げ、
そしてその強烈な左のキックを武器に総合格闘技に転向し、
総合格闘技においてストライカー(打撃系選手)として始めて成功したと言われ、
PRIDEグランプリ優勝、そしてUFC参戦と
K-1、総合格闘技問わずその世界で知らない者はいないほどのレジェンド選手ですが
ここで改めて全盛期の強さ、元警察官、元国会議員の過去、
そして嫁や息子、現在と引退の噂について紹介させていただきます!
ページコンテンツ
ミルコ・クロコップのwiki的プロフィール
引用:https://www.instagram.com/p/BdP4nglnmu8/
名前:ミルコ・クロコップ
本名:Mirko Filipović
異名:クロコップ (Cro Cop)、最強の愛国戦士、ターミネーター、超人
生年月日:1974年9月10日
年齢:44歳
血液型:?型
出身:クロアチア ヴィンコヴツィ
身長:188cm
体重:110kg
階級:ヘビー級
所属:チーム・クロコップ
インスタグラム:@crocop1009
ツイッター:なし
ブログ:なし
ミルコ・クロコップの経歴
引用:https://www.instagram.com/p/BswBH5XgsU8/
ミルコは旧ユーゴスラビア現クロアチアの、ヴィンコヴツィに誕生しますが
10代の頃に住んでいた地域が民族紛争の戦場となり
友人達の死を目の当たりにするという過酷な経験から、
強い男になりたいと願うようになりまずは空手を始めたのが格闘技を始めたきっかけのようです。
ミルコはこの10代の時期について
「10代半ばの頃、同年代の男達はみんなサッカーなどに熱中する中、
私は戦争への恐怖と怒りで、ひたすら体を鍛えていた。
自分が強くなって皆を守り、もう誰も死なせないと誓ったからだ。」
と語っています。
その後ミルコは空手から20歳になる前に、
キックボクシングに転向してプロデビューし、
1996年3月10日「K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦」で
K-1初代王者ブランコ・シカティックの一番弟子として、日本初登場を果たします。
なんと日本デビュー戦で、
ジェロム・レ・バンナからダウンを奪い、3-0の判定勝ちをしました。
3年間日本のリングを遠ざかるのですが
実はその間にアマチュアボクシングの試合に出場していた経歴があります。
なんとアマチュアボクシングでは56戦48勝31KO8敗という素晴らしい結果を残しています。
そして3年ぶりのK-1復帰を果たし、
10月3日「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」で
マイク・ベルナルドから2つのダウンを奪って1RKO勝ちし、
当時のK-1トップ選手の一人を破った事で更なる注目を浴びる事となります。
12月5日「K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦」で決勝進出しますが、
決勝ではアーネスト・ホーストに3RKO負けを喫し、グランプリ準優勝となりました。
「K-1 WORLD GP 2000 決勝戦」では再びホーストに優勝を阻まれます。
2001年8月19日に藤田和之と初のMMAルールで試合を行い、
組み技、寝技の経験の無いミルコの圧倒的不利という大方の予想を覆し、
藤田のタックルに膝蹴りを合わせTKO勝利を飾りました。
11月3日PRIDE.17から当時かなり勢いを上げていたPRIDEに初参戦し、
高田延彦、ヴァンダイ・シウバとの対戦をドローで終え、
以降PRIDEに参戦するようになります。
PRIDEヘビー級のトップファイター、ヒース・ヒーリングと対戦し、
左ミドルキックでダウンを奪いパウンドでTKO勝利します。
この勝利から、イゴール・ボブチャンチン、ドス・カラスJrを相手に
ハイキックによる劇的なKO勝ちを連発し、
K-1からやってきた外敵からPRIDEのスターへと上り詰めていきます。
その後ミルコはPRIDEで劇的なKO勝利を重ね、
ついに2005年8月28日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」で
エメリヤーエンコ・ヒョードルの持つヘビー級王座に挑戦します。
「21世紀最初の世紀の一戦」と銘打たれた一大決戦でしたが、ミルコは3-0の判定で敗れます。
タイトルマッチに敗れたミルコですが再起し、
「PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦」に出場し、
1回戦で美濃輪育久、2回戦で吉田秀彦をにTKO勝利。
準決勝でヴァンダレイ・シウバと4年ぶりに再戦し
左ハイキックで失神KO勝利。
続く決勝ではジョシュ・バーネットにタップアウト勝ちを収め、
PRIDE 無差別級グランプリ 2006優勝者となりました。
その後PRIDEの消滅に伴い、UFCへと移籍しますが、
UFCでの戦績は1勝2敗と振るいませんでした。
中でも2敗の内1敗はブラジルのガブリエル・ゴンザーガに
自分の得意技であるハイキックで失神KO負けを喫しました。
そして日本で新興団体DREAMが誕生したのをきっかけに
UFCを離脱し、DREAMに参戦しますが、DREAMでは1勝1分けの戦績ですぐにUFCへと復帰しました。
UFC復帰後は、ジュニオール・ドス・サントスやロイ・ネルソンといった、
後のUFCスター選手らを相手に敗北を喫し、
2勝4敗のまま二度目のUFC挑戦を終えます。
UFC離脱後は、キックボクシング復帰を表明しK-1へ参戦します。
K-1 RISING 2012 WORLD GPへと参戦し、優勝を果たします。
なんとK-1初参戦から16年の時を経てK-1チャンピオンへと輝きました。
その後は日本のMMA団体であるIGFで数戦し、IGFヘビー級チャンピオンになります。
ですが2015年、なんと三度目のUFC参戦を果たします。
相手は8年前に自分をハイキックでKOしたガブリエル・ゴンザーガでしたが、
ミルコは3Rにヒジ打ちからのパウンドでKO勝ちを収め、リベンジを果たしました。
その後ミルコはUFCをドーピング問題で離脱し、
同時期に日本で誕生したRIZINに参戦。
2016年はRIZIN無差別級トーナメント開幕戦にて、ミョン・ヒョンマンに勝利。
無差別級トーナメント 2nd ROUNDで、
前年のヘビー級グランプリ王者キング・モーと対戦しパンチ連打でダウンを奪い、パウンドでTKO勝ち。
2016年12月31日には、RIZIN無差別級トーナメント FINAL ROUNDで
把瑠都にKO勝ちし、
決勝戦ではアミール・アリアックバリと対戦カウンターの左フックでダウンを奪い、最後は左フックでKO勝ちし
優勝を果たしました。
2018年は、左足前十字靭帯を損傷し、戦線を離脱しますが、
手術を受け戦線復帰し、
2018年9月30日、RIZIN13でロッキー・マルティネスにTKO勝ちを収めています。
ミルコ・クロコップの戦績と獲得タイトル
戦績
アマチュアボクシング
56戦 48勝 31KO 8敗
プロキックボクシング
31戦 23勝 11KO 8敗
総合格闘技
52戦 38勝 34KO一本 11敗 2分
獲得タイトル
キックボクシング
- IKBF 世界ヘビー級フルコンタクト王座
- K-1 GRAND PRIX '99 準優勝
- K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA 準優勝
- K-1 WORLD GP 2012 優勝
総合格闘技
- PRIDE無差別級グランプリ2006 優勝
- 第4代IGF王座
- RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメント 優勝
(2019年3月4日現在)
ミルコ・クロコップの入場曲は?
ミルコ・クロコップの入場曲といえば、
『Duran Duran - WILD BOYS』
かっこ良さとどこか哀愁を感じさせるこの曲は、
スターでありながら数々の敗北や怪我という挫折に、
苦しみながらも乗り越えてきたミルコにピッタリの曲ですね!
引用:youtube.com
ミルコ・クロコップ 全盛期の強さ
引用:https://www.instagram.com/p/BL3VppEh0Ix/
ミルコの代名詞と言えばその左ハイキックですが、
ハイキックだけではなく、全てのキックとパンチが一撃で相手を仕留める威力を持ちます。
大型ヘビー級ファイターが多かったK-1では、
188cm100kgのミルコは小柄な部類でした。
そのためミルコは正面衝突を避け、
巧みなフットワークで相手の攻撃を避けつつ、
タイミングを計って強烈な一撃を放って相手を仕留めるというファイタスタイルで勝利を重ねました。
そして総合格闘技に移行したミルコですが、
ミルコは総合格闘技に適応した最初のストライカーと呼ばれています。
今までの立ち技系格闘技選手はレスラーや柔道家に比べてフィジカルが弱かったため、
打撃を耐えられ組み付かれるとなす術がありませんでしたが、
ミルコは立ち技系格闘技選手としてはいち早くウェイトトレーニングに着手しており、
組み技系選手に組み付かれても、フィジカル負けせずに跳ね返す事ができました。
またコンビネーション等でダメージを与えるタイプのキックボクサーだと、
コンビネーションを放っている間に相手に組み付かれますが、
ミルコはフットワークで相手をかわしながら、
一撃必殺の打撃を打ち込むというスタイルだったので、
そこもまた総合格闘技と非常に親和性が高かったのだと思われます。
ミルコは元警察官で元国会議員??
引用:https://www.instagram.com/p/BfnvoOQnTkB/
ミルコは20代の頃は警察官で対テロ特殊部隊に所属しながら格闘家として活躍していました。
あれ程の格闘家でありながら、特殊部隊の隊員なんて恐ろしい男ですねミルコは!
また、2003年11月23日にクロアチア社会民主党から出馬し初当選し、
国会議員として4年間活動しました。
2004年2月13日には、当時の日本の内閣総理大臣小泉純一郎氏と面会しています!
本当に多彩な男ですね!
ミルコ・クロコップの妻・息子について
引用:https://www.instagram.com/p/BcP1cGJjOab/
ミルコの奥さんは、サッカーのFIFAワールドカップフランス大会で得点王となった
クロアチア代表ダヴォール・シューケルの妹さんでのようですね。
また息子さんは現在10代のようで、
ミルコは息子さんに対して「サッカー選手になってほしい、格闘家にはあまりなってほしくない」
と語ったこともあるようですが、
現在息子さんはミルコと共に格闘技のトレーニングを積んでいるようです。
これは将来が期待できそうですね!
ミルコ・クロコップが電撃引退!理由は?
引用:https://www.instagram.com/p/Bpb-rmugbqp/
すでにミルコ・クロコップは引退したと、
思っている日本人は多かったはずです。
しかし海外では現役で最前線を戦っていました。
日本でも2018年9月30日のRIZIN13で、
ロッキー・マルティネス相手にKO勝利を収めています。
数ヶ月前の本人は、
2019年末に引退する事を示唆していました。
しかしファンにも本人にとっても、
とても衝撃的な出来事が起こります。
2019年3月2日、
突然の引退発表・・・
2019年は米国Bellatorでのロイ・ネルソンへのリベンジを達成し、
まだまだやれるとアピールすることに成功。
そして何より、
RIZINでの引退試合が噂されていた中だったので、
とても悲しいですね。
引退の理由は病気?
引用:https://www.instagram.com/crocop1009/
2019年2月25日、
トレーニング中に頭へのダメージをもらってから、
首や頭部に違和感を訴え、病院で診察を受けたところ、
脳卒中(脳内で出血した痕跡)が見つかります。
今後は頭に刺激を与えては危険であると判断した医師からは引退を勧められました。
家族もいるパパのミルコ・クロコップが、
44歳で倒れるわけにはいきませんからね。
苦しい決断ではあったでしょうが、
他に選択肢はなかったと思います。
引退発表の前日、3月1日にはすでに退院したそうなので、
現在は一安心です。
【キック・総合格闘家】ミルコクロコップ まとめ
1996年から現在(先日)に至るまで、
実に20年以上格闘技界の第一線で活躍し続ける
レジェンド ミルコ・クロコップ。
MMAに初めて適応した立ち技選手として名を馳せ、
44歳を迎えた今でも、
テクニックとパワーで年齢をカバーしながら戦い続けていました。
もうリングでのミルコを見ることはできませんが、
今後の動向は要チェックです!