引用:www.k-1.co.jp

 

みなさんはK-1と言う言葉を聞いた事はあると思います。

しかし・・・

K1Kて何?

と問われた場合、答えることが出来る人が今は何人いるでしょうか?

「わかる!」

と言ったアナタ!かなりオールドなファンですね!?

世代がわかりますよ(笑)

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K-1の『K』の由来

 

K-1K』とは、

  • 空手(KARATE)
  • 拳法(KENPO)
  • カンフー(KUNFU)
  • カポエラ(KAPOERA)
  • キックボクシング(KICKBOXING)

これら立ち技格闘技の頭文字を取ったものなのです。

 

そして、K-1『ワン』とは、

ナンバーワンの1(ONE)です。

 

つまり、K-1は立ち技格闘技で世界最強を決めるトーナメントだったのです。

 

初期の頃、

体重別でも無く様々な体重が乱立する無差別なトーナメントだったのも、

立ち技で最も強い男を決める大会だったからです。

 

一回だけ開催されたK-2(その後あったK-2とは全く別物です。)

と言う82kg以下級のトーナメントではホーストが優勝しました。

それから、ミドル級の頂点を決めるK-3もありました。

K-1 は正に、体重無差別で強い男を決めるのですから・・・

古いファンからすると、体重の軽いK-1 と言うのは、微妙な感じがするのですが・・・

まあ、良いでしょう。

 

K-1発足初期の歴史

引用:youtube.com

 

最初のK-193年に開催されました。

当時は、試作品のようなもので、

外国から呼んだヘビー級の良くわからない選手や

アメフト選手を殴り合わせるようなトーナメントでした。

体重も乱立していました。

 

173cm73kgのタイ人チャンプアと

190cm100kg近いブランコ・シカティック選手との対戦もありました。

魔裟斗をヘビー級に出すようなもので、

如何に無茶苦茶だったかもわかるでしょう。

 

技術よりもパワーの時代でしたので、

ずいぶん危険な倒れ方をしていました。

体重が乱立するのは、

危険だと言われたりもしていました。

関係者を除き、

観客もプロレスファンや格闘技ファンから流れて来た様な

コアな階層しかいませんでした。

 

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怪獣『佐竹雅明』の登場

引用:www.facebook.com

 

佐竹雅明が、

かなりの大柄で日本最強の空手家と言われている頃でした。

その体格と歯並びから怪獣王子と言われていました。

空手自体が全く人気無く、

強くなりたい小柄ないじめられっこか、

喧嘩好きのヤンキーくらいしかやらないような、

かなりのマイナー競技でした。

 

当然、クラスにいる大柄な人は野球とかバスケに行きます。

そんなマイナーな時代の空手では、

175cm75kgもあれば、

100人くらいいる国内の空手のトーナメントでも

「うわ!!でかいなぁ!!」

と言われ一番大柄な部類になるくらいの時代でしたから、

佐竹雅明の187cm116kgが、

いかに巨体で恐れらてれていたかわかるでしょう。

 

後のK-1は魔裟斗に代表されるようなイケメンが多く、

一般人の女性をターゲットにしています。

 

漫画化もされた佐竹雅明

引用:www.facebook.com

 

当時はファンの階層も全く違ったので、

大柄な頼りになる近所の空手やっている兄ちゃんのような佐竹は、

格闘技好きの男性をメインとしたファンからは大人気でした。

『隣の格闘王』と言う漫画も出ました。

少年誌で漫画化すらされるほど、人気者でした。

ゲームやフィギュアが趣味ですから、

少年たちのヒーローのような存在でした。

学歴もそれなりに高く、

英語も堪能でテレビ局の仕事を蹴って格闘技に没頭した佐竹。

一時期は、アンディにも勝ちました。

 

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ルールや技術が未熟で危険だったK-1

引用:www.bloodyelbow.com

 

K-1が始まり第二回準優勝した頃(優勝はピーターアーツ)が佐竹雅明の全盛期でした。

後の『まっすぐに蹴る』では、

パンチドランカーであったことを告白しています。

真相はわかりませんが、

当時は月収も5万円くらいだったと書いております。

良くも悪くも時代に翻弄されたヒーローでした。

その後、K-1はテレビ化が始まりましたが負けが続きました。

K-1は巨大化が進み、

2m前後もあるような外国人選手相手に佐竹は小さすぎたのでしょう。

 

当時は、技のある古い選手が、

体格のあるような選手にボコボコに負けるシーンが多くあり、

K-1には魔物が棲んでいる・・・」と言われました。

今では、制約ができた一回転しての裏拳(バックハンドブロー)で

一気に覆ることが多かったのです。

あるいは、

試合開始直後に技術も無い全く無名の喧嘩慣れした選手が、

喧嘩テクニックや力任せで、

ゆったり構えた準備もしていないテクニシャンを

ねじ伏せるシーンが多くありました。

アンディ・フグですら、

試合開始19秒ほどで喧嘩慣れしたボクサー上がりに

喧嘩殺法で沈められたこともあります。

ルールも技術も未整備な時代でした。

要は、技よりもパワーや勢いと言う時代でした。

 

引用:www.instagram.com

 

オールドファンが佐竹について悲しいのは、

本当は強いのに、

このように時代背景やパンチドランカーと言う事もあり、

全国放送では大柄な外国人相手に負ける姿ばかりを見せ続けた事です。

 

武蔵が出て来て世代交代した時には、

昔の佐竹を知っているオールドファンがみんな悔しがったようです。

当時、K-1を見るのは、ほぼ男性ばかりした。

しかし、魔裟斗の登場でK-1に転機が訪れます。

 

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K-1全盛期を築いた『魔裟斗』の登場

引用:matome.naver.jp

 

魔裟斗が活躍していた時がK-1の全盛期だと思います。

まだ、魔裟斗が売れていない頃、

格闘技雑誌には

「元暴走族のキックボクサー」と紹介されていた記憶もあります。

真相はわかりませんが、

元ヤンキーや元暴走族だったと言う話もあります。

「高校を中退して、友達にジムに連れて行かれて、適当にサンドバックを蹴っていたら、ジムでスカウトされたんすよ。」

というような、

どこでも見るようなデビューしたての格闘家のようなコメントを見た記憶があります。

 

それから、一気に売れたか?と言うとそんな簡単なサクセスストーリーではありません。

この頃はまだ、K-1に中量級はなかったので、

雑誌に掲載されても、

以後数年はメディアで姿を見る事がありませんでした。

K-1 MAXつまり中量級が出来てから、

再登場して雑誌の隅っこに出ていた記憶を思い出しました。

 

魔裟斗を中心とする中量級の登場

引用:http://muaythaipros.com/

 

K-1ヘビー級の大柄でゴツイ筋肉の塊のような恐ろしい男たちとは違って、

ルックスも女性ウケするので、

明らかにK-1の客層も変わりました。

普通の女性達が魔裟斗を追いかけるようになって、

K-1と言う名前も男性だけから女性にも知られるようになりました。

 

日本人は昔からヒールとヒーロー物が好きですから、

ライバルのブアカーオやクラウスと闘う魔裟斗の姿は、

多くの女性をうっとりとさせました。

当時は、ヤンキーや暴走族もカッコいいと言われている時代でしたので、

高校を中退して、成り上がる姿に惚れ惚れしたのでしょう。

 

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魔裟斗が格闘技界を変えた

 

それまでのキックボクシングは地方にはジムすらない、

格闘技雑誌でしか見られない完全なマイナー競技でした。

もしK-1に中量級が出来なければ、

そこら辺のルックスの良い強い兄ちゃん?というような認識で、

一般には知られずに引退後はひっそり暮らしていたかもしれませんね。

 

魔裟斗が出て来るまでは、

キックボクシングではチャンピオンになっても食っていけず、

肉体労働のバイトで細々と暮らす人が多かった時代です。

そんな格闘技界に華やかさをもたらしたのが魔裟斗です。

時代背景もあり、

これから魔裟斗のようなタイプの選手が出て来ることも無いでしょう。

武尊は新生K-1で、

今そこに向かって頑張っています。

 

感想まとめ

 

いかがでしたか?K-1 には歴史があります。

歴史も踏まえてK-1を見ると、

古い映像も見たくなる時があるかも知れません。

その時は、時代に翻弄された選手にもエールを送ってあげてください。

昔のK-1はかなり面白いですよ。

 

引用:http://fightland.vice.com/

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